summer resort −1−


「衛くんっ!!」
「うわっ!?…フィオレ?」

 シャワーを浴びて寛いでいた衛は、突然の訪問客に驚いた。

 ここは某県山中のリゾートホテルだ。
衛が住んでいる都心からは車で三時間も離れているが、今は夏休みの最中で客足が多い。
 短期のバイトが募集され、衛は先週からここで働いていた。

 仕事は結構きついが割が良い。近所に住宅が無い為に、バイトに来ている者には、一室共同使用ではあったが、宿泊出来るよう部屋も用意されていた。
 時間を有効に使えるので、昼はカフェレストラン、夜はラウンジと、衛は一日の大半の時間をバイトに当てている。

 夏休みも残り少なくなり、漸く忙しさも落ち着いて来た。
 衛のバイト期間ももう終わる。明日一日を乗り切るだけだ。

 ラウンジの片付けを終え、深夜業務の担当に仕事を引き継いで、衛は宿舎に戻った。
 食事を摂り、シャワーを浴びてロビーの椅子に腰掛けて、就寝前にバイト仲間と談話していたところだ。

 時刻も随分と遅いと言うのに、そこへ突然フィオレが現れた。
 思わず衛は椅子から転げそうになる。

「ど、どうして、ここに…!」

 驚いて、眼を何度も瞬きさせる。
 フィオレは二ヶ月程前に、地球を去った筈だ。

 最近は免疫が出来たのか、宇宙に出てもすぐにまた戻って来る。
 サイクル的には再び地球での暮らしが始まる頃ではあったが、まさかこんな遠方に現れるとは衛も予想外だった。

「酷いじゃないか!衛くん!君が居ないから、僕凄く心配したんだよ?」

 フィオレは衛に抱き着いて、甘えた声で責め上げる。
 地球でのフィオレ外見は、衛と同じ年頃の青年だ。
 宇宙人の姿でなくとも、衛に男が思い切り抱き着いて来た様子を見て、ロビーで寛いでいた周りの者は一斉に言葉を失った。

「フィ、フィオレ、そんなに抱き着くなよ!」
「君が居なくて、僕どうしたら良いか判らなくて…、衛くん!」

 衛の言葉を無視して、更にきつく抱き締める。
 衛の隣に座っていた数人が即座に離れ、身動き出来ない衛は、椅子と一緒に倒れそうな身体を必死に支えた。

「フィオレ、く、苦しい〜!」
「衛くぅん!」

 身体は華奢だが、フィオレの背は衛より僅かに高い。
 薄茶の柔らかな髪に、切れ長の目、面長な容姿は誰が見ても美青年だ。その彼が思い切り衛を抱き締めて離さない。

 周囲の視線が二人に注がれる。彼らが何を考えているか、衛には手に取るように判った。

「…地場くん、…お友達?」
「あ、いや、ちょっと。まぁ、そんなもんです。えっと、暫く外国へ行ってて、いきなり帰って来たみたいで…、フィオレ!離せってば」
「会えて良かった、衛くん。僕、捜したんだよー?」

 フィオレは心から嬉しそうに満面の笑顔を浮かべると、衛の頬にキスをした。
 見開いた衛の眼に、固まる仲間達の蒼白な表情が映った。

「うわぁぁぁ!や、やめろ!フィオレ〜!」
「何で?」
「あ、あの。こいつ、外国での暮らしが長くて、ついこんなスキンシップを…!」
「…地場くん、オレ達明日も早いから、もう寝るよ。お友達と、ごゆっくり…」
「ちょっと、あの!とんでもない!オレがどっか行きますから!皆さんはどうか寛いでて下さい!スポーツニュース始まりますよ?ほら、フィオレ、行くぞ!」

 衛は渾身の力を込めてフィオレの身体を押し返すと、手を取って引っ張り、慌ててロビーを後にした。

「衛くん、何処行くの?」
「煩い!なるべく遠くだ!」

 ロビーの向こうは玄関だ。夜勤があるので門限は無く、いつでも外に出られるようになっている。
 と言っても外はホテル以外建物も無く、辺りは山でしかないから、夜中に出歩く必要はなかった。

 ロビーからは数人が顔を出して衛達を見送っている。
 その視線が耐え切れず、衛は玄関の扉を開けて外へ飛び出した。

「衛くん、外は真っ暗だよ?」
「…分ってるよ!」

 フィオレに言われるまでもなく、ホテルから直線の一本道以外に街灯が無いのは知っている。
 だがホテルの方向に向かう気は起きず、衛は玄関に常備されている、一番大きな携帯電灯を借りると、ホテルとは反対側の山道へと進んだ。

「わぁ〜、真っ暗で薄気味悪〜い。衛くん、心細いよ〜」
「…お前、宇宙に慣れてるくせに怖がるなよ。あっちはもっと暗いだろうが」
「あ、バレたか〜」

 衛はフィオレの手を取って、どんどんと山道を登って行く。

「衛くん、何処まで行くのさ?」
「……」

 暫く歩くと、衛は漸く足を止めた。山道を結構登ったのか、背後に見下ろす場所に小さくホテルが見える。
 今日の月は痩せていて、辺りは闇が深い。衛が手にした灯りが、辛うじて周囲を照らしていた。

「…フィオレ、済まない」

 羞恥のあまり飛び出して来たのだが、いきなり抱き着かれて頬にキスされたくらいでフィオレを責める事は出来なかった。
 宇宙から帰還して、フィオレが何処に向かうのか、衛の元でしかない事は、彼にも良く分っている。
 
 いつものように衛の部屋を訪れ、待っていても衛が帰宅しなければフィオレが不安になるのも当然の事だった。

「突然、ここのバイトの話が入ったんだ。お前、いつ帰って来るか分からなかったし、留守にしてたのは謝るよ」
「いいよ。僕も突然だったし…。突然帰って来て君を驚かすのが、いつも楽しみなんだ、僕」
「…ああ、…おかげでいつも驚かされてるよ」
「衛くん、会いたかったよ。会えて良かった」

 フィオレ笑顔で再び抱き着いて来た。その身体を今度は受け止めてやる。

「フィオレ、どうしてここが分かったんだ?」

 半月程の短期のバイトだったが、万一その間にフィオレが帰って来たとしても、生活に困らないように置手紙と金をちゃんと置いて来たのだ。
 だがここの場所までは記して行かなかった。

「古幡くんに訊いたんだよ。君がここで暫く働くって」
「元基?ああ、…そっか、元々ここのバイトって元基の父さんからの紹介だったんだっけ」

 本来なら友人が入る筈のバイトだったのだが、急用でどうしても出勤出来なくなり、代わりに衛が引き受けたのだ。
 急な代役だったので、フィオレのことを充分に考えてやれなかったのである。

「衛くん、バイトも良いけど、何でこんな遠くに居るんだよ!来るの大変だったんだよ〜」
「そういや、こんな遅い時間に着くなんて、お前一体どうやって来たんだ?」
「婆ぁの車、ひっ捕まえてヒッチハイクして来たんだよぅ!」
「ええ?…お前、その気になりゃ、もっと楽に来れたんじゃないか?」

 フィオレにはテレポート出来る能力が備わっている。

「地球人で居る間は、極力そういう力は使わないようにしてるんだ。エナジーの消耗が激しいんだよ。それに車を何回か乗り継いでたら、少しずつ衛くんに近付いていってる実感がして、何だか楽しかったし」
「乗り継いだ車の人に、迷惑かけなかったろうな?」
「ちゃんとお礼も言ったよ。えっと、そのうち二台は勝手にトランクに入ったから、挨拶なしでさよならしたけど…、後はちゃんとキスもしてあげたし」
「……。おい、キスってのは何だ?」
「だからお礼だよ。婆ぁの目的はそのままホテルに直行に決まってるじゃないか。全部寸前で当身食らわして逃げたけど、乗る時にはそのくらいのお礼をしてあげないと、出来るだけ遠くまで走って貰えないし」

 フィオレの容姿は女性を魅力する。
 本人にその気がまったく無くとも、彼は苦労せずに女性を手に入れる事の出来る特権を持っている。フィオレの言う婆ぁと言うのも、自分で車を走らせる優雅で活動的な女性に違いない。

「フィオレ…」

 衛は深く後悔した。
 やはりこの割の良いバイトを断って、フィオレを待っていた方が世の為だったのかも知れない。
 話さえあればここで来年も働かせて貰えないものかと考えていたのに、職場の同僚に疑いを与え、恥も掻いてしまった。

「衛くん?」
「……」
「あのね、衛くん。キスって言っても、まったく愛情込めてないからね。ヤキモチ妬いちゃ駄目…、あ、でも、…ちょっと妬いて欲しいかも!」
「妬かない。相手が気の毒で泣けて来る」
「僕、衛くんとしか本当のキスはしないから」
「…オレは、うさことしかしない」
「冷たいなぁ。…ね、やっぱり妬いてんの?」
「いい加減にしろ」

 フィオレは嬉しそうに衛に抱き着いて、頬に唇を寄せて来る。
 衛は少し照れ臭そうに顔を背けたが、フィオレを退けはしなかった。

「衛くん…!」

 フィオレは抱き締めた衛に唇を重ねた。
 衛も今度は嫌がらずに、フィオレのキスを受け止めてやる。
 夏と言えども、夜になれば山中は冷える。シャツ一枚では肌寒く、抱き合っているのは気持ち良かった。

「バイトが明日までで、本当に良かったよ」
「何だ。僕、せっかく来たのに、バイトもう終わり?」
「どうせオレは仕事が忙しくて相手になってやれないよ。でも一緒にお前を連れて帰れるのには安心した…」

 一人で追い帰せば、きっと別な問題が浮上するだろう。
 嘆息する衛に、風はひやりと頬を擽った。

「…流石に夜は涼しいな。でも、もう少し経たないと帰れないぞ」

 今帰れば、注目の的だ。
 気まずくてとてもじゃないが部屋には戻れなかった。皆が寝静まるのを待つしかない。

「もう暫く、ここに居るの?」
「あぁ。仕方ないだろ。お前も付き合えよ?」
「いいよ。僕、君に聞きたいこともあるし…」
「何だよ」

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