(三)
「なぁ、」
「………」
「…あんた。その手に抱えてるのは、何なんだ?」
男の形相が変わった。
驚愕した面を仔太郎に向けて、思い切り睨み付ける。
困惑した表情は、酷く怯えて歪んでいた。
「…お前、…何が見えている!」
仔太郎は、応えた。
「…小さな、二つの頭蓋骨だ。血に濡れた、亡骸だ。
子供のもの…か?」
「………!!」
男は慌てて、両手で顔を覆った。
血に塗れた手だ。子供の血が、指の間を滴り流れる。
「あんたが、うなされていたのはそのせいだったんだな」
仔太郎は、男を蝕む悪夢の元凶を知った。
身体から流れ続ける血は彼のものではなく、抱えた骸から溢れる血だ。
名無しはその血に塗れて、ずっと苦しみ続けていくのだ。
これからも、ずっと。
「何故だ…? どうしてだ!
何故これが、お前には見えるんだ…?」
仔太郎に縋る赤毛の若者は、怯えていた。
必死に逃れようとしている。
その反面、許せぬ自身を自分で戒め、逃れられないように縛り付けている。
救うことは出来ない。
いつの日か、彼を許すのは彼でしかないのだ。
だが。
ほんのひとときであろうとも。
幼い亡骸を抱き、血に塗れるその手を握ってやることは出来る。
誰も触れようとしなかった、寂しく冷たいその手を。
あぁ-----。
その為に、自分は呼ばれたのだ。
仔太郎は感じた。
「奇妙なことってのは、あるもんでな」
「……?」
「不可思議なことってのは、本当にあるもんなんだ。
信じるかどうかはあんたの勝手だけどな」
どう話せば良いのか考えあぐねて、仔太郎は言葉を選んだ。
若い名無しは仔太郎が何を言い出したのか、まったく解らない様子で見つめている。
「何て言うのか、自分でもまだ信じられないんだが…。
実は、俺には、ちょいと奇妙な血が入っているんだ」
「…血? 何の話だ?」
「まぁ。聞けよ。
昔、あ、昔って言うのは変かな。ま、いいか」
「………」
「明の国に占いを生業とする、偉い道士が居るんだが。
そいつが、不老不死の薬ってやつを作るのには、百年に一度の子供の血が必要だと言い出したんだ」
「不老不死? …子供?」
「それで、その子供がたまたまこの国に渡って来たもんだから、明の奴らが追って来て儀式を…」
「追手? 儀式…? 何だ? それは」
突拍子もない話だ。
脈絡もない。
仔太郎にも解ってはいるのだが、どう話したものか上手い具合に言葉を選べない。
そもそも、こんな事を誰かに話すのは、仔太郎にも初めての事であった。
「うーん、ここら辺は簡単でいいかな。
要点を言うと、だ。
不老不死の薬は、百年に一度、占いで選ばれたった一人の子供の血で出来るんだと」
赤毛の若者は、黙って頷く。
「なぁ。百年に一度現れる子供の血って、何だと思う?」
若者は、今度は首を振った。
「知る筈ないよな。俺も知らん」
「あぁ?」
「だが、わざわざ選ばれるからには、その血は普通じゃないんだろ。
何がどう違うのか、そんなことはどうでも良かったんだがな。別段、困りもしなかったし」
独り言のように呟く仔太郎の説明に、若い名無しは嘆息した。
「お前が何を言っているのか、さっぱり解らん。
そんなことより、どうしてお前は、…これが見えるんだ?
どうして、俺以外の奴に…」
「だからさ。ちゃんと最後まで、人の話を聞けよ。
その百年に一度の子供ってのは、実はこの俺のことだ」
「………」
「ん? ここは少しは驚くとこだろ」
無表情な様子に、仔太郎は軽く舌打ちする。
「俺の血。百年に一度の子供の血だ。
俺は…。不老不死の薬の為に、首跳ねて、血を抜かれようとした」
首を抱えた若い名無しの身体が、ぴくりと震えた。
「俺の血が本当に不死に効くかどうかは知らんが、奇妙な力があったのは本当だった」
「……奇妙な力?」
「ああ、」
仔太郎は苦笑した。
「時々、引っ張られるんだ。どこか判らない場所に。
夢を見ただけだと言われればそれまでだが、気付いたら今まで居なかった場所に居る。
知らん場所だったり、知ってる場所だったり。色々だ」
「………」
「気付いたら、今度はここに呼ばれた。
ここは、俺の居る場所とは別のところだ。…あんたの居る場所だ」
ふぅ、と溜息が漏れた。
話が通じぬ事に苛立った赤毛の名無しは、仔太郎から目を反らした。
詰まらなさそうに鼻を鳴らすと、元のように柱に凭れ掛かる。
腰の刀が床に当たって、チャリ、と鍔が鳴った。
「おい、ちゃんと聞けよ」
「もう、いい。お前の空言は意味がまったく解らん。
だが…、どういう訳だか、お前には俺が抱えてる首が二つ、見えるんだな」
「ああ、見える」
「…そうか。お前が、どこか特別だってのは確からしい。
これは、俺にしか見えない筈だから」
名無しの心だからだ。
勝手に名無しの心の奥へ入り込んでしまった。
仔太郎は軽く頭を下げ、無言で非礼を詫びた。
「血塗れだ。その子供の首は誰かにはねられたものか?」
「むごいと思うか…?」
名無しが抱えている首が、幼い頃の自分の顔に変わっていく。
あの時名無しが助けてくれなかったら、この首は血に塗れてこのように虚ろな亡骸となっただろう。
「護ってやれなかった奴が、悔いて苦しんでいるのなら、それが供養になる。
寺の坊主の受け売りだがな」
「悔いても、死んだ奴は帰らねぇよ」
「でも、俺は生きている。…あんたに助けられた」
「……俺が?」
「あんたが助けてくれたから、俺の首はここにある」
仔太郎は自分の首を指す。
「…そうかい」
ふっと、若い名無しは笑った。
突拍子もない話を空言と受け止めて、相手をする気になったのか、それとも信じたのか。
安堵したような、だが、哀しい表情を仔太郎は見た。
「……そいつは、いい」
「ああ。俺は、あんたに救われたんだ」
「……」
血塗れの子供の首を、若い名無しは優しく撫でた。
慈しむように、ゆっくり、何度も撫でた。
暫く、二人は何も語らなかった。
仔太郎は、何かを思い詰める名無しの横顔を、黙って見つめた。