ヰタ・マキニカリス 2
羅狼が用心棒を買い求めた事に、仲間は夫々に驚きの顔を見せ、そして呆れた。
だが、元より他人には構わぬ者揃い。
揶揄はすれど、翻訳機能も持たぬ中古品など、誰一人として興味を示さない。
羅狼の事が気がかりでならない風午以外は、馴染まぬ仲間の酔狂など捨て置いた。
「…あいつは何を言っている?」
「羅狼さま…」
羅狼は、連れ帰った用心棒を与えられた住処に置いた。
便宜を図ってくれている、とある国の領主が用意してくれた宿だ。
広い屋敷を使わせてくれている。
幸いにも、寝所は個人の数だけ揃っていた。
「風午、奴は何を?」
「…薬を使われたら良いじゃありませんか」
風午は羅狼を睨み付けたが、本気でない凄みでは、拗ねたようにしか見えない。
羅狼は相手にせず、応えを促した。
「風午、あいつは何と言っているんだ?」
「………」
困ったように嘆息すると、
「…良い馬を使っていると、誉めてます」
渋々と、風午は羅狼の問いに応えた。
「そうか」
「羅狼さまが、馬の世話係をご所望されていたとは知りませんでした!」
語尾を強めて、風午は言い放つ。
この程度の抵抗を、羅狼が気にも掛けない事は知っているのだが、多感な年頃の風午には我慢がならない。
中古品で買い求めた、名前を持たぬ用心棒。
ガラクタ当然で、肝心の刀は使えぬ、翻訳機能は持たぬ、だが飯は食うで、風午にはやっかいな荷物でしかなかった。
用心棒の必要がまったくない処に、まったく役に立たぬ用心棒。
羅狼が何を思って買い求めたのか、風午にはまるで理解出来なかった。
「今度は何を言っている?」
「………」
「風午?」
「…そろそろ、蹄鉄を新しくした方が良いと言ってます」
「好きにしろと言え」
「羅狼さま! 白鸞さまに戴いたこの薬を、どうかお飲み下さい!
私の仕事は、あいつの通訳じゃありません!」
飲めば会話が可能だと言うのに、羅狼は一向に薬を使おうとしない。
言葉が交せぬので不便を感じた風午が、代わりに薬を用いて言葉を解し、羅狼と用心棒の相手を務める羽目になった。
「奴には、良い仕事があったものだな」
怒った風午の様子など眼中にもなく、羅狼は馬の世話をする名無しを見つめている。
何をするでもなく、眠っているか散歩をしている役立たずの用心棒に業を煮やし、風午が仕事を与えたのだ。
馬の世話が出来ると言うので任せてみたら、きちんと面倒を見る。
気の荒い馬に梃子摺っていたのだが、名無しの言う事は大人しく聞くようだ。
その日の内に、馬屋は名無しの居場所となっていた。
今も、中庭に馬を放って、鞍の取替えを行っている。
羅狼は部屋の板場に腰を掛けて、その様子を眺めていた。
「最近、馬の調子が良い」
「……馬の世話係りとしては、悪くはないですけど」
鷹使いである少年は、動物と触れ合う者の事を多少理解出来る。
風午に取っての名無しは目障りな存在だが、馬の世話を任せたことに関しては自身の裁量を評価した。
「あれでも、肩書きは一応“用心棒”なんですから。役には立っておりません」
「そうだな。ここに押し入る盗賊もおらん。暇な事だ」
「我々には任務がありますよ、羅狼さま」
「呼ばれれば、ちゃんと出向いている。
ああ、そうだ。風午、奴に手綱の緩みも直すように伝えておいてくれ」
「ですから! …羅狼さま。ご自身であいつと話して下さいよ!」
会話が可能になる妙薬が入った竹筒を、風午は羅狼に付き付けた。
羅狼は、ようやく風午の機嫌が斜めな事に気付いて眉を顰めた。
「どうした?」
子供をあやすかのように、首を傾げる。
それが余計に、風午の気に触った。
「私はこれから、他の者との手合わせを約束しております。
忙しいんですよ? これでも! 通訳のお手伝いばかりしている程、暇じゃないんですから!」
「あぁ。判った」
軽い返事だ。
いつだって、羅狼は白鸞の寄越した薬を試そうともしない。
今も受取った竹筒を指で弄んでいる。
「これを、奴に飲ませる事は出来んのか?」
「この薬は、こちらの言語を持つ者にしか効かぬそうです。だから中古品なんて…!」
風午は大袈裟に溜息を付いた。
「不便だ」
「そうお思いになるなら、羅狼さまがお使いになれば良いんです!! では!!」
風午は業とらしく語尾を強めて言い放つと、踵を返して羅狼の側を離れた。
「大した剣幕だな」
その勢いに、羅狼も思わず苦笑した。
「…なぁ。あいつは、何をいつも怒ってるんだ?」
馬を撫でてやりながら、風午の様子を見ていた名無しが呟いた。
言葉が通じぬと知りつつ、羅狼に向かって話し掛ける。
「あいつの機嫌が悪いと、鷹が気を遣う。
ほら。降りて来て良いものか、考えあぐねているぞ?」
青い空を、風午が大切にしている鷹が旋回していた。
名無しは眩し気に目を細めて、大きな翼を広げる鷹を見上げた。
「………」
名無しが何を言っているのか、羅狼には伝わらない。
羅狼は、のんびりと馬の世話をする名無しの、腰に挿された刀に目をやった。
本気で振り被った剣を受け止めた、用心棒の抜けぬ刀。
あの邂逅以来、羅狼は名無しの姿を追い続けていた。
何故に剣を封印しているかは知らぬ。
尋ねようとも思わない。
羅狼にとって必要なのは過去ではなく、名無しが剣を抜く時である。
その瞬間に立ち会う為に、羅狼はこの用心棒を手に入れたのだ。
今は沈黙(しず)かな封印されし刀。
鞘から鋭い刃が現れて血に染まる光景を、羅狼は名無しの奥深い場処に視ていた。
「馬の世話は、飽きたろう…?」
羅狼が語り掛けた言葉の意味も、名無しには通じない。
お互い、独り言だ。
名無しは聞き返そうともせず、馬を優しく撫でる。
天気の良い日だ。
青い空が高い。
雲が浮かぶ。
鳥が飛ぶ。
のどかな昼。
ゆっくりと流れる雲の端が、ふと陽を翳らせた。
「-----っ!!」
その瞬間。
金属の鳴る音が、鈍く響いた。
名無しの剣が、羅狼の放った飛刀を弾き返す。
跳ね返った飛刀が転がり、地面に置いた馬具に当たって音を立てた。
「………!」
避けることは容易かったのだろうが、名無しは咄嗟に馬を庇い、腰に挿した刀を抜いて防御した。
初めて見せた時と同じ、鋭い眼光で羅狼を睨み付ける。
「…次は、その鞘を抜いてみろ」
「………」
羅狼は立ち上がり、名無しに近付いた。
腰の剣を抜き、刃を翳す。
瞬きもせず睥睨する名無しの眉間すれすれに、羅狼は刃先を押し当てた。
名無しは表情を変えず、一歩も退かない。
「いいな。その顔…」
羅狼は笑った。
その一瞬の間に、名無しの剣鞘が羅狼が放った剣の刃を受け止めた。
「……っ!」
もの凄い力で迫って来る剣の刃先を、名無しは必死に食い止める。
力では優勢の羅狼が、名無しの身体を押しやり、名無しの草履は土を削った。
「……くっ!」
このままでは、力勝負に負けて押し倒されてしまう。
姿勢を崩した途端に、羅狼の剣は身体を真っ二つに斬り裂くだろう。
名無しは歯を食い縛って、圧迫に耐えた。
額の汗が、顎を伝うまでの、短くも長い長い時間。
名無しは羅狼を、羅狼は名無しを、互いに瞬きもなく睨み付けた。
青い空に、白い雲が浮かぶ。
白い雲は風に流され、青い空に再び日が現れる。
射し込む光が剣に反し、羅狼の目を射した。
「………っ!」
その僅かな隙を得て、名無しは身を屈め、滑るようにして羅狼から逃れた。
ヒュッ! と音を立てて、剣先が名無しの動きを追う。
名無しの髪が一房、パラパラと舞い落ちる。
片足で踏ん張って、低くした体制を戻す名無しの頬から一筋、血が滲んで流れた。
「……ふ」
羅狼は微笑んでいる。
抜けない刀の柄に手を掛けて、名無しは厳しい表情を変えない。
「また、俺の剣を受け止めたか」
羅狼は残念そうに溜息を付きながらも、嬉々とした表情で笑った。
気を沈め、刃を日に翳してから剣を鞘に納める。
名無しは安堵の息を吐き出し、緊張した肩の力を抜いた。
「…いい加減にしろ」
雇っておきながら仕掛けて来る羅狼に辟易して、名無しは睨め付けた。
「馬が驚く。馬の側では、抜くな!」
名無しは言い放つと、馬の様子を覗った。
自分に向けられた羅狼の殺意には畏怖すること無く、馬の方が余程気掛かりらしい。
その様子に、言葉は通じずとも羅狼には名無しの放った言葉が理解出来た。
「やれやれ。用心棒より馬の世話係か…」
馬は名無しに守られて、大人しいままだ。
名無しは馬を気遣い、足元に落ちている飛刀を拾った。
「………」
羅狼に無言で、それを渡す。
「お前の命を狙ったものを、わざわざ返すとは…」
羅狼は呆れて苦笑した。
そして、大きな躯で名無しを見下ろすと、その前髪に手を掛けた。
「……っ!」
いつも顔を覆っている髪が掻き上げられ、驚いた名無しの瞳が羅狼の目に映る。
かわして逃げようとする肩を掴んで、羅狼は名無しの身体を引き寄せた。
「………」
顔を寄せて、名無しの耳元に囁く。
「……あ?」
名無しの知らない言葉だった。
羅狼が何を言ったのか、その短い言葉を名無しは理解出来なかった。
羅狼は微笑むと、名無しの頬に滲んだ血をぺろりと舌で舐めた。
「……っ!」
羅狼の殺意に怯えることのなかった名無しが、ゾクリと身体を震わせる。
奇妙な感覚に嫌悪して、名無しは咄嗟に羅狼の腕を振り払った。
思わず後退りする名無しに、羅狼は口の端を歪めて笑んだ。
「暇が続いていてな。馬とばかり遊んでないで、俺の相手をしろ」
「……?」
「お前は、俺を退屈させん」
羅狼は笑ったまま、振り返って歩き出した。
何事も無かったかのように、風午が早足で歩き去った方向へと、羅狼も帰って行く。
「………」
名無しは身構えたまま、羅狼の後姿を追った。
馬は軽く身体を震わせて、餌を貪っている。
空を舞う鷹は、まだ高い位置に翼を広げていた。
のどかな時間は、ほんの僅かしか進んではいなかった。
「………チッ!」
名無しは手で頬を拭うと、甲に着いた血を舐めた。
そして、苦々しく舌打ちして、唾を吐き捨てた。
−続く−
2007.11.13
※この続きは、同人誌「ヒュプノスとタナトス」に完成版として掲載しております。
ご了承下さいませ。
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